プロフィール

ベビーフードアレルギーアドバイザーの大丘ひかりと申します(^^●)

初めましての方がほとんどだと思いますので、
わたし自身のプロフィールを載せておきたいと思います!

プロフィール

わたしは、保育園で管理栄養士として
働きながら、、、
料理教室をしてみたり、
アレルギーの勉強会を開いてみたり、
スポーツ選手の栄養サポートを
行ってみたりと
色んなことに手を出しています(笑)

 

福島県喜多方で生まれ、
埼玉で育ってきましたが

2年程前に妹と東京で2人暮らしを
はじめました(^^*)

 

栄養士になることは、
中学の頃には決めていたので、

高校卒業後は専門学校に進学。

 

専門の卒業式に震災があり、
内定取り消しになるかと
思いましたが、
そのまま受け入れてくれた会社で

・重症の心身障害児を受け入れている療育施設
・特別養護老人ホーム✕2施設

を経験してから、
今の直営の保育園で働いています!

 

保育園で働きながら
管理栄養士の資格をとり、

今はさらに夢であったフリーランスになるのに
向けて色々動き出したところです(^^)

 

趣味は食べ歩きと本に触れること。
そして身体を癒すこと!温泉・岩盤浴大っ好きです♡

 

栄養士になろうと思ったきっかけ

私は小学生の頃から、両親は仕事に出かけ、
家には兄妹しかいない家庭でした。

 

その中で、ごはんを作る役目はわたし(長女)の役割でした。

 

しかし、短時間で母から教えてもらった料理は、
・スーパーの味付け肉の炒め方
・真空パックのハンバーグの温め方
・インスタント食品の作り方
・魚の焼き方
・味噌汁の作り方
これをローテションして食いつないできました。

 

テレビから聞こえる「健康
というワード。

この食事って健康なのかな・・?

そんな疑問を解消したくて、
そんな困っている人に教えられる
ようになれたらなと思って、
栄養士になろうと決めました。

 

なぜアレルギーについて
伝えようと思ったのか

保育園で普段からアレルギーの対応をしていたのと、

私が長年お付き合いをしている彼が
元々重度のアレルギー持ちだったこともあり

アレルギーと私の距離は
とても近いものでした。

 

きっかけは、
去年、彼が私の料理を食べて
アレルギーを発症し、
真夜中に救急車で運ばれたこと。

本当に心臓が止まるかと思いました。

 

私、最愛の人を
殺してしまうところだった・・・。

普段保育園でアレルギー対応をしている。

その日に出した食材にも素材的には
別段、発症する危険があるものは
出してなかった。

彼も一応はアレルギーは治っている。
しかし、その時はとても疲れていた。

思いもよらないところから、
アレルギーというものは襲いかかってくる。
保育園で栄養士をしているわたしが
知らないということは、

きっと一般の方はもっと知らない。
そんな思いでいっぱいでした。

 

アレルギーのニュースの中で、

ピーナッツアレルギーの彼が
寝ている時に、

ピーナッツバターを塗ったパンを
食べた後の彼女がキスをした。

彼はその後ショックを起こし、
急変して目覚めることはなかったと。

 

彼女は彼がアレルギー持ちということ
も知らなかったそうです。

愛おしさからしたことが、
もう取り返しのつかないことになる。

 

きっと世界の片隅では、
愛しい人を、思わずなくしてしまう方が
今もいるのかもしれないと思う。

 

そんな悲しいことがおきないように
少しでもアレルギーのことを
一般常識化できたらいいと思う。

 

そう思い、活動をしていこうと
決めました。

 

少しでも、アレルギーの方の負担を
なくすために。
急にアレルギーに関わるようになり、
どうしたらいいのだろうと
迷う方のために、

このブログを通して、
今までの保育園での経験も盛り込んで
何かのお役立ちやヒントになれれば
心から嬉しく思います。

 

 

動いている中で最近感じてきたこと

元々、子どもが産まれて
身動きがとれない。
そんな時がきても、

栄養士であれば
家でも仕事ができるし、
復帰もしやすいという
考えもありました。

 

フリーランスに興味を
持っていたので、

色々やりたい!
興味ある!

そんなことを最近は動きながら
好きなようにやってきましたが、

 

1番自分自身が求めていること
それってなんだろう?
と振り返ってみると、

 

栄養士になりたいと思った理由に
ヒントがあるのかなと思うように
なりました。

 

両親が共働きをする前、
父の仕事が休みの日曜日には
家族みんな揃って食事をするのが
当たり前でした。

朝ごはんに

ごはんと
味噌汁と
目玉焼きと
ねぎたっぷりの納豆に
お浸し。

大体同じメニューを
家族みんなで食べていました。

 

これが私の心の中に残っている
温かい食事の記憶。
多分5歳未満の時の記憶です。

なんにも難しいことなんてない。
ただ、徐々に、
時間とお金にふりまわされ
始めただけ。

 

私は小学生から必要にせまられて
誰にも教わることなく
料理を作ってきたけれども、

きっと心の奥底で、
元々興味をもっていた料理を
お母さんと一緒に作りたいなと
思っていたんじゃないかと。

そして、幼いころのように、
家族がみんな一緒にいられる、
ゆとりある時間を欲していた
んじゃないかと
ここ最近になって、よく感じるように。

 

自分に子どもができたら、

毎日一緒にごはんを作りたいな。

これはなんていう食べ物なのか
色んな食材に触れさせてあげたい。

畑にも行って収穫したり、
生命のいとなみを知ってもらいたいな。

お友達たちとも色んな場所へ
行ける・体験できるような
食育の活動ができたら最高だなとか。

その子の考えが豊かになる
絵本をたくさん読んであげたいな。

 

そんなささやかな夢だけれども、
今の一般家庭の経済状況では
きっと叶わない夢の実現を
私は願っていると感じました。

 

その夢を実現させるためにも、
自分がお役に立てるアレルギーのことをお伝えしながら、

家にいながらでも仕事ができるように
環境を徐々に変え始めています。

 

 

これから育っていく子どもたちに
伝えたいことがある。

その前に、育てていくお母さんや
お父さんに知ってもらいたい
ことがある。

そして、
日本で生まれたこと、
誇らしく思って欲しい。

 

そんな想いも込めながら、
これからも進んでいきます。

 

まずは、トライ!!
やってみないと何も始まらないので、
また1歩踏み出してみます(^^●)

 

この場をおかりして、
みなさまと出会うことができたこと、
心より感謝いたします。

 

 

長い文だったと思いますが、
最後まで見て下さって
本当にありがとうございます!

今後ともよろしくお願い致します。

ベビーフードアレルギーアドバイザー
大丘 ひかり